マチポンブログ

言葉は生き物ではなく、単なる道具だと思う。

ゼロから始める異体字の世界【レトロデザインのための近代日本語講座〈2〉】

今回は「異体字」についてお話しします。すこし専門的な部分もあるので、適宜不要な部分は読み飛ばすことをお勧めします。

こんな問題から始めてみましょう。世田谷区の区章とその説明文は以下のように書かれています。

外輪の円は区内の平和、中心は「世」の文字が三方に広がり、人びとの協力と区の発展を意味しています。世田谷区の紋章、シンボル | 世田谷区ホームページより)

「中心は『世』の文字」とありますが、そうは見えません。なぜこのような形なのでしょうか。

前回の記事

本記事は連載形式で、前回の補足のような内容になっています。前回の記事もご参照ください。

shokaki.hatenablog.jp

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異体字とは

異体字の話ですから、先ほどの問題も異体字に関係するとお分かりかと思います。答えるとすると、「世」の異体字「卋」を意匠化している、というわけです。

この「卋(㔺)」は街中で見られる某宗教的看板でも使われています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB-%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%A4%A7%E9%A0%88.jpg

世界人類が平和でありますように」の文字
(著作者(出典リンク):HQA02330/ライセンス:CC BY-SA 4.0ウィキメディア・コモンズより)

戦前にはよく使われたようで、戦前生まれ(現在91歳)の方が現代に書いた手紙にも使われていました(友人提供)。(横罫なのに縦書きするという手紙の縦書き意識も観察されます)

戦前生まれの人が書いた「世」(友人提供/おそらく2023年2月に書かれたもの)

この「世-卋(㔺)」ような、同じ意味で使われ、交代可能な漢字の形状のバリエーションを「異体字と言います。前回お話した「国-國」のような「旧字体」も広義には異体字に含まれます。本記事では基本的に「旧字体」も含めて「異体字」と呼びます。

前回の記事でもいくつか異体字の例を挙げましたが、使い分けがされていない異体字の例をここにも挙げておきます。

明治期の同じ紙面に現れる異体字の例

ただし、こんなに近くにあるのは稀です。このような活字の揺れは明治~昭和初期にかけて徐々に収束していくのだろうと思います(私見)。

また、異体字」という言葉は下記1.のように主体から見て言う言い方と、2.のように両者を対等に並べる言い方があります。(歴史的な研究では主体を定めることが難しいため、2.が好まれます)

  1. 「卋」は「世」の異体字「世」を主体とした言い方)
  2. 「卋」と「世」は異体字の関係/異体関係(両者を対等にした言い方)

異体字はさらに「正字」「俗字」「略字などの下位分類が設けられることがありますが、これらは立場によって判断が異なり複雑ですので、とりあえず「異体字」と呼ぶのが楽です。

異体字の認識

異体字の使われ方

現在異体字はほとんど用いられることがないので、意図を持って異体字を使いがちです。例えば、横浜に行くと「横濱」「横濵」などと書かれたお土産を見つけることができます。これらはレトロ感や伝統の演出のために使われているようです。*1

yokohama001goods.org

このような状況から、現代人は過去の漢字についても異体字が使われた理由を考えがちです(例えば、「本能寺の能は…」とか「鬼子母神の鬼は…」とか*2しかし、前回もお話しましたが、戦前の漢字の形は多様です異体字で書かれていても、単純によく使われていた形を使っただけ、という場合がほとんどだと思われます。
世田谷区の区章もなぜ「卋」なのか考えてしまいそうですが、昭和31年に制定されたそうですので、戦前生まれの方が使っていたものを意匠化したということでしょう。

どこまでが同じ漢字か

また、異体字を考える上で押さえておきたいのは、以前はかなり広い幅の漢字の形を同一視していただろうということです。*3
前掲の手紙の「卋」は、今年に入って書かれたものです。戦後、絶対に「世」の字をたくさん見ているはずなのに、「卋」を書いています。現代人から見ると「世-卋」はかなり異なる形をしており、同一視できませんが、以前は「世-卋」のような差も同一視し、ほとんど区別しなかったと思われます。「世」であれ「卋」であれ、「セケン・セワ・セカイ」の「セ」と区別なく認識されていて、無意識的に書きなじみのある「卋」で書かれたのでしょう*4

誤字か異体字

過去に書かれた漢字の形について、それが「誤字」か「異体字」か判断するのは、かなり難しいです。現在は、「常用漢字表」などによって漢字の形の拠り所がありますが、確固たる拠り所がない時代の「誤字」はなかなか決められません。当時よく使われたことが分かれば、誤字ではなく「異体字」と呼んでいいものと思われます。

異体字はどうできるのか

漢字ごとに様々な事情があり、一概に「異体字はこうやってできた」ということはできませんが、ここではいくつかの出来方を実例を挙げながら見てみたいと思います。

よく使う字は略字化する

文字は筆記の労力を減らすために簡単になることがあります。例えば、明治~昭和初期によく使われた略字として「銭」の略字があります。通貨単位はよく使う字ですので、通貨単位「銭」が現役だった時代には略字が使われていました(山下2013)*5

「銭」の略字の例

他にも、面白い例としては、神戸市須磨区では「須广」という略字が使われているということがあります(岡墻2018)。地域・職業などによってよく使われる字は異なるので、略字化する字も地域や職業によって異なるのです。

私はたまに、異世界とかパラレルワールドの通貨単位(漢字)には、どんな略字が存在するのだろうかと妄想しています。ぜひ皆さんも妄想してください。*6

画数の多い字は正確でなくても読める

「渡辺」さんの「辺(邊)」には数多くの異体字があると言われています。(それをネタにしたゲームもあります。渡る世間はナベばかり - ArclightGames Official

おそらくその多くは、複雑で正確に覚えられないことと、正確でなくても読めたことから生まれたものであると思われます。漢字の形の確固たる拠り所がなかったということも関係していると思いますが、画数の多い漢字は多少変わったとしても、読めてしまうという特徴があります。

皆さんはこの画像の漢字が読めるでしょうか。「鬱」の字自体を知っていれば読めたのではないかと思います。画数の多い漢字ほど、他の漢字にはない特徴的な部分が多くなりますその特徴さえ押さえておけば読めるということから、「辺(邊)」には数多くの異体字が生まれたのでしょう。*7

その他の例

この節はまあ、「ふーん、そういうのもあるんだ」程度に聞いてください。(あまりレトロとかデザインには関わらないやや専門的な部分です。)

動用字

漢字には、構成要素(部品)の位置が変わって異体字をなすものがあります。それを「動用字」などと呼んでいます。

音符の交代

漢字の多くは「形声」と呼ばれる方法で作られています。その、形声の漢字の音を担う部分(音符・声符)が他の物に交代した異体字が存在します。また、「坂-阪」「翻-飜」のような、意味を表す部分(意符)が交代した異体字もあります。

漢字の歴史は長く、いろいろな変化を経ています。すべてを説明することは困難なので、この辺でやめておきましょう。

異体字の別字化

元々は異体字の関係で、相互に交代可能であったのに、特定の用法にしか使えなくなったものもあります。「著-着」「弔-吊」などは元々異体字の関係ですが、現在使い分けられています。
「著-着」は明治・大正期でも使い分けされていたようで、言語研究に用いられるデータベース「日本語歴史コーパス(CHJ)」で明治・大正期(一部昭和初期)の資料を調査したところ、着物735件、著物6件という結果でした*8
現代でも「烏茶」は「烏茶」と書けないなど、使い分けの進んでいるものがあります。

他にも、読売新聞の「弔-吊」を調査した研究(山下2018)があります。1900年以前「吊」は「とむらう」の意味で使われていましたが、1900年以降に「弔(とむらう)」「吊(つるす)」という使い分けが生じていくようです。また、日本特有の使い分けも多く、「(わき)-脅(おどす)」などがあります。

電子機器の異体字

「近代」と銘打っておきながら、電子機器の話をするのはどうかと悩みましたが、異体字を扱う上で必要な情報なので、簡単に情報だけ書いておきます。どうやって電子機器で異体字を入力するのかということに関わります。
文字コードにおける様々な問題も、多くは時代や人によって異体字の認識が異なる、ということに起因しています。

JIS漢字コード

日本産業規格(JIS)で定められた文字コードを「JIS漢字コード」などと呼んでいます。ちょこちょこ「例示字形」などが変更されており、JIS X 0213:2004で変更されたものは、以前の形で表示されるフォントや、切り替えられるフォントがあります。

Adobe-Japan1

Adobe-Japan1はAdobeが定めた、JISともUnicodeとも異なった独自の文字集合です。OpenTypeフォントの多くがこの規格を基準としています。Illustratorなど一部のソフトで扱うことができます。

IVS/IVD

Unicodeでは異なる字体(字形)でも包摂し、区別していないものがあります。それをプレーンテキスト上で区別できるようにした仕組みがIVS(Ideographic Variation Sequence:異体字シーケンス)です。漢字用の仕組みとしてIVD(Ideographic Variation Database:漢字字形データベース)があり、VS(Variation Selectors:異体字セレクタ)によって字体(字形)を区別します。前述Adobe-Japan1の文字集合に収録された形をIVDとして登録した「Adobe-Japan1」がよく利用されています。

まとめ

戦前の資料にはたくさんの異体字が現れます。デザインにもふんだんに異体字の要素が取り入れられています。この、異体字に対する認識が今と異なっているだろうことは異体字を考える上で重要なことだと思っています。同じものを見ているはずなのに、その見え方は異なっているのです。

異体字調べる方法、参考文献はこの下に示しました。適宜参照していただければと思います。

次回予告

次回は「書体」について書く予定です。

どうやって調べる?

異体字・漢字を探す

特定の漢字にどんな異体字が存在するか、また、書かれた異体字を検索するには下記が便利です。

「グリフウィキ」明朝体の漢字字形のwikiです。グリフウィキで「」を検索すると、下の方の「関連グリフ」の「異体字」に「丗」「卋」などがあり、異体字を知ることができます。ただし、グリフウィキでの「異体字」はここで説明した「異体字」とは異なり、一般的には異体字といえないものも関連付けされています(参照:GlyphWiki:異体字 - GlyphWiki

「教育部異体字字典」中華民国(台湾)の教育部が提供している異体字の字典です。サイトにアクセスしたあと、中央の「教育部 異體字字典」のあたりをクリックすると、検索に進みます(檢索功能(=検索機能)でも進みます)。

書かれた漢字の部首や画数がある程度分かるなら、「部首查詢(=部首検索)」「筆畫查詢(=筆画検索)」が使えます。部首查詢では部首画数→部首→部首外画数と選択することで漢字を絞り込むことができます。
複合查詢」では「筆畫數(=画数)」なども「請選擇(=選んでください)」のプルダウンから指定できます。条件7の「形構查詢(=構成検索)」も便利で、漢字の構成、例えば「十廿」と入力すると「卋」が出てきます。

CHISE IDS Find」はIDS(漢字構成記述文字列)の情報を用いて漢字を検索できるものです。平たくいうと、Unicodeにある漢字を、漢字の部分から検索できます。例えば、「十」で検索すると、「十」を含む漢字が山ほど出てきます(多くの漢字に含まれる部品を検索すると重くなります)。「十廿」で検索すると、「卋」をはじめとして、「十」と「廿」を含む漢字がたくさん出てきます。検索結果の左側の漢字の画像をクリックすると、漢字の情報詳細を見ることができます。(参照:CHISE IDS 漢字検索の使い方―中国史研究のためのデジタルリソース入門

CHISE IDS Findの「十廿」の検索結果

また、CHISEにはHNG(漢字字体規範史データセットのデータも含まれており、中国や日本の、過去の規範的な漢字の字体を知ることができます。

CHISE「世」の情報から見られるHNGデータ

拓本文字データベース」は京都大学人文科学研究所が所蔵する拓本資料の文字の切り出しを検索できるデータベースです。ところどころ切り出しが間違っているものもありますが、多くの拓本資料の文字を検索でき、過去にどんな字体がよく使われたか見るのに便利です。よく使われる字だとかなり多くの検索結果の画像が現れるので、読み込みに時間がかかります。

解読する

「みを」というくずし字認識アプリがあります。「みを」は「日本古典籍くずし字データセット」(後述)をメインに学習したシステムを利用しているので、江戸時代の版本(木版印刷)の文字認識に長けています。一般的に、読めない文字は「くずし字」のような場合が多いと思いますので、読めない文字が何なのかアタリを付けるには有用と思われます。

くずし字を見る

「近代」ではありませんが、漢字の形を調べるという点では下記のものも使えます。下記のデータベースは異体字も検索結果に現れるので、どのような字体が使われていたか知ることができます。

東京大学史料編纂所の「電子くずし字字典データベース」東京大学史料編纂所の所蔵する資料から文字を切り出したデータベースです。過去に肉筆でどのような漢字の形が使われていたか知るのに使えます。

下記は、日本古典籍くずし字データセットの文字を検索できるものです。主に江戸の版本(木版印刷でどのような形が使われているか知ることができます(写本や古活字本もあります)。ただ、文字の同定が誤っているものもあります。例えば、「比」の結果に「此」や「頃」があるなどの誤りがみられます。

その他

地名にも様々な異体字が含まれることがあります。ひめさん(Twitter@sarasvati635)が管理されている「稀少地名漢字リスト」というサイトでは、異体字も含めた珍しい漢字の地名用例が収集されており、参考になります。例えば、大阪狭山市には「茱萸木(くみのき)」という地名がありますが、この「萸」は現在も異体字が使われていることが分かります。
ただし、地名自体が誤記に由来すると思われるようなものもあります。*9

略字については「略字データベースまとめwiki」が参考になります。「大正略字フォント」などを作っている、あもがーたさん(Twitter:@amogaata)が管理されています。ただ、誤字と思われるようなかなり稀有なものも掲載されています。

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参考文献

※記事内で適宜示したものは省略しました。Amazonのリンクはおすすめの本です(価格も手頃なものです)。

使用コーパス

※詳細な検索条件は脚注に示しました。

もっと詳しく

国立国語研究所の解説動画です。字体・異体字について詳しく知りたい方はご覧ください。


www.youtube.com

*1:笹原2006:97-99にも指摘あり

*2:小池2013:54-56にも指摘あり

*3:現代では以前よりも細かい差を意識するようになっている(=同一視しない)と考えられています文化庁2016:p.5、山口2022(拙論(口頭発表))

*4:現代でも「門」の略字(https://glyphwiki.org/glyph/u95e8-ue0100.svg)が「門」とほとんど区別なく用いられますが、そのような意識で異体字が用いられていたようです。個人的な話ですが私が小学生のころ「り」が1画か2画かでは全然違うではないか、と思っていましたが、慣れればどちらも難なく読めますし、その差を意識しなくなります。

*5:「銭」の旁は「戔(戈+戈)」であったことから、2点にするものもあります(例:函館市中央図書館デジタル資料館: 洋画家 半切画展覧会

*6:中国の人民元も、台湾ドルも紙幣には「圓(圆)」と書かれているのに、同音の「元」で代用するのが普通です。日本の「円」も「圓」の内部を「|」にした略字です。

*7:本家と分家を分けたようなものもあると思いますが、誤字のようなものも多いのだと思われます。

*8:語彙素「着物」/「明治・大正-雑誌」「明治・大正-教科書」「明治・大正-小説」「明治・大正-新聞」のコア・非コアを問わない全ての作品から検索しました(楷書・明朝体の資料に絞りました)。/原文文字列が「着物」「著物」のものを集計しました。「着る」は形態素解析が誤っているものが見られたので、名詞「着物」で検索することにしました。

*9:地道な調査によって地図の誤記が明らかになったものもあり、サイトの典拠などの記述には一定の信頼がおけます。