タイトルの通り、「山口政行(政山*1)」は私の祖父です。
なぜこんなことを書くかというと、「教えて! goo」に、こんな質問があるからです。
アメリカの友人が『政山作 摂津国 伊丹市』と記銘のある『兜をかぶった武者絵の大きな六角凧』の作者を探しています。Googleで調べましたが判りませんでした。
どなたかお判りならどうぞ教えて下さい。(政山 和凧の作者 -アメリカの友人が『政山作 摂津国 伊丹市』と記銘- その他(芸術・クラフト) | 教えて!goo)
私の祖父です。
祖父の記憶
祖父は私が幼稚園児を謳歌していた頃に亡くなりました。
なんとなく、車で一緒に買い物に出かけたこと、仏間に安置されていたこと、火葬が行われたことは覚えていますが、それ以外のことは覚えていません。
祖父は和凧を作っていた
さて、和凧の話をしましょう。
記憶にはありませんが、祖父は和凧を作っていました。
ちょっと話が逸れますが、伊丹市は「清酒発祥の地」を標榜しており、古くからの酒造がいくつかあります。
その一つに「老松」があります。老松の店舗に入るとこんなのがあります。
これが、祖父の凧です。
伊丹市中央にある、老松の店舗の入った正面にあります。印章は上が「政山之章」、下が「山口政行」となっています。(絵付けもしたようなのですが、この「老松」の字がどう書かれたのかよくわかりません。転写かな?)
他にも、家に残っている凧があります。
こんな感じです。神話や、『三国志』『水滸伝』などの一場面と思われますが、よくわかりません。
祖父の記事
1985年1月の『兵庫教育』36(10)に祖父の書いた記事「私の凧人生」がありました。
いくつか内容を抜粋してご紹介しましょう。
- 凧作りは祖父に教わった。近所の家は正月などに大凧を作ってあげていた。家々の図柄があった。遊んだあとは燃やした。
- 断れず、年間に2000枚から3000枚の凧を作っている。(市職員だったそうだが、退職後か?)
- 昭和56年9月トーマス・マツエダ氏に招かれ渡米、2.8m×1.9mの武者絵凧を準備し、3000点の凧をプレゼントした。500枚の連凧も4連あげた。会場では1000点以上の凧が売れた。(この凧全部を祖父が作ったのかは不明)
- 凧を作る上での留意点は、あがらねばならないということ。あがった時に絵が見えるかということも大切。
ざっとまとめると、こんな感じです。他にも、福祉施設での凧作りの指導をし、松屋町の増村人形店に売っていたようです。
この記事を見ると、恐ろしいほどの量の凧を作っていたようです。アメリカにあるのも納得……。
他にも持っている方がいると思いますが、大切に持っていてくださればと思います。また、凧としてあがることも意識していたようなので、あげてみてもいいかもしれません(壊れるかもしれませんが……)。老松にある凧も、大きめの物なのですが、あがるのでしょう。
今回はそんな祖父の記事でした。
出典など
- 山口政行(1985)「私の凧人生」兵庫県立教育研修所編『兵庫教育』36(10)兵庫県教育委員会(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/7924513/1/5)
- 兵庫県の「ふるさと文化賞」を昭和63年にもらっているようです。(https://web.pref.hyogo.lg.jp/press/documents/20221221_12029_2.pdf)
付記*2
三重県立美術館で1988年に開催された「【アート・カイト〔芸術・凧〕】」展では凧の制作に携わったようです。