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言葉は生き物ではなく、単なる道具だと思う。

文化庁指針(漢字のとめ・はねなど)への誤解と早とちり①

指針への理解

f:id:shokaki:20160229195755j:plain文化庁文化審議会漢字小委員会が漢字に関する指針(案)*1を作成しました。

どのような内容か、ちょっと読売新聞を引用して述べますと、

漢字の手書き文字について、「はねる」「とめる」など細かい違いで正誤はなく、多様な漢字の形が認められていることを説明する*2

というもので、具体的には画像のようなものです(画像は2.29読売新聞夕刊より)。

つまり、「とめ」「はね」など些細な違いで漢字の正誤を判断するのは誤りであるから、それを説明する指針を作ったわけです。また、これは、学校教育などでも柔軟に評価するように求めています。

すこし結論めいたことをいうと、漢字を厳しく採点するのは教員間で徐々に出来上がった代物であり、それに全く根拠はありません。実は、細部にこだわらなくてよいということは、文部省時代から60年以上にわたって述べられていたことで、どちらかというと教員の方がそのことを理解せず、厳しい指導をしてしまっていたのです。いわば、それを是正する指針でもあります。

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ぜひこの動画をご覧ください。教師に漢字の採点の基準についてインタビューした映像作品です。

教師は自分でも漢字を採点しているときの基準がなんなのかわかっていません。厳しい採点はどこにも根拠がないので、当然といえば当然なのですが……。*3

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このように、教師の厳しい採点には根拠がないわけです。ですから、例えば、私の中学時代の国語教師は「女の2・3画目は交差したら不正解」と声高に言っていましたが、国語教科書の教科書体(1977年以降)はすべて突き出す形である、ということが起きます。(画像:東京書籍中1国語教科書『新しい国語1』(2015))

「ははあん、なるほど、僕も理不尽な採点をされたことあったなあ」と賛同される方もいるかもしれません。

その通りなのですが、「細部にこだわらないと漢字がめちゃめちゃになってしまう!」のような意見も少なくありません。

確かに、誰か読む人が想定されている場合は丁寧に書く必要があります。郵便局員の友人が言っていた「綺麗に書け」という言葉は心に刺さるものがありました。

ですが、今回の文化庁から出された指針は「乱雑に書いてもよい」「適当でもよい」という話ではありません。とめる・はねる・つけるなどが漢字の骨組みに影響しない場合は、その差で誤りとしない。という内容です。「整っているか」「丁寧に書かれているか」などは別の観点です。

指針のQ&Aの部分には、このようにも書かれています。

字体〔注:漢字の骨組みのこと〕が読み取れる字であれば,どのような書き方をしてもよいということを言おうとしているのではありません。整い方,丁寧さ,美しさ,巧みさなどに配慮して文字を書くことが大切な場合があることを踏まえた上で,しかし,これらの評価や観点は,正誤の判断とは別のものなので,混同せず区別して考えましょうというのが,当指針の考え方です。

「女」という字を例にとると、前述したような出す・出さないは、漢字の判別に影響がありません。ですから、出す・出さないでどちらかが正しく、どちらかが誤りということはありません。

「矢」はどうでしょうか。突き出すと「失」という字になってしまいます。このように、漢字の判別に影響してしまうものは、区別しなければ完全に誤りです。

今回の指針は、「女」のように出す・出さないなどで字の判別に影響がないような、「本来こだわらなくてよい細部で正誤を決めてしまうのはやめましょう」という話で、「乱雑に書いてもよい」などとするものではありません。

では、もっと掘り下げて内容を見てゆきましょう。

「字体」と「字形」

これから説明する内容に関係することですので、先に「字体」と「字形」の違いについて説明しておきます。

どちらも似たような言葉で混乱しやすいのですが、常用漢字表の考え方では、

「文字の骨組み」を「字体」

「書くなどして現れた具体的な文字の形」を「字形」

としています。

たとえば、「宇」「字」「学」「學」などはそれぞれ文字の骨組みが異なりますから、「字体が違う」と言えます。

一方、下の図の字はすべてが骨組みの同じ「宇」と認識できます。そのことから、まず、「字体が同じ」ということができます。そして、文字の太い細いや、デザインなど、具体的に表れた形が異なります。ですので、「字形が違う」と言えます。

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字体同じ字形違う

※ただし、過去の文部省の通達などでも「字形」のことを「字体」と称しているなど、混乱しています。

緩やかな基準でよいとされてきた

先ほども述べたように、60年以上にわたって「細部にこだわらなくてよい」としてきました。常用漢字の前身、当用漢字の字体を示すものとして出された『当用漢字字体表(1948)*4』には、以下のように書かれています。

この表の字体は,これを筆写(かい書)の標準とする際には,点画の長短・方向・曲直・つけるかはなすか・とめるかはね又ははらうか等について,必ずしも拘束しないものがある。そのおもな例は,次の通りである。

このように書いて、例えば糸へんの「小」を3点で書くような書き方が示されています。

それを引き継いだ『常用漢字表(1981)*5』にも以下のように解説が載せられています。

常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。このことは,これによつて筆写の楷書における書き方の習慣を改めようとするものではない。字体としては同じであつても,明朝体活字(写真植字を含む。)の形と筆写の楷書の形との間には,いろいろな点で違いがある。

として、いくつかの例を挙げています。『常用漢字表(2010)*6』でも同様で、さらに詳しく解説しています。

また、『小学校学習指導要領解説国語編(2008)』にもその旨が書かれており、

漢字の指導の際には,学習指導要領の「学年別漢字配当表」に示された漢字の字体を標準として指導することを示している。しかし,この「標準」とは,字体に対する一つの手がかりを示すものであり,これ以外を誤りとするものではない。児童の書く文字を評価する場合には,「常用漢字表」の「前書き」にある活字のデザイン上の差異,活字と筆写の楷書との関係なども考慮することが望ましい。

と、「常用漢字表」での記述を考慮して評価するのが望ましいと書かれています。

このように、60年以上にわたってこのような考え方を示しており、かつ、学習指導要領解説にも書かれています。

なのに、それを理解していない教師などによって厳しく指導され、それが正しいのだと思い込んでしまったのです。

いつから細部にこだわりだしたのか

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古い看板などを見ていると、さまざまな字体・字形が用いられていることがしばしばあります。

そのことから考えると、昔は漢字の形にかなり寛容だったことがうかがえます。固有名詞でさえお構いなしです。(写真:JR高槻駅周辺にて2015.11撮影)

しかし、1975年頃にはすでに漢字の厳しい採点が問題になっていたようで、読売新聞にこんな記事があります。

〔注:「」は藤原宏文部省教科調査官の思い出として書かれている〕「『幸一』という息子に、幼稚園のころから自分の名前を漢字で書けるように教え込んだ。その息子が小学校に入ってから、得意になって書いた漢字を見て、受け持ちの先生が×にした。『幸』の下の『干』の部分、下の横棒が教科書では長くなっているが、息子のは短い、と注意したそうだ。」(中略)ことほどさように、学校教育の現場では、教科書体そっくりでなければという〝信仰〟にこり固まっている教師が多い。*7

また、いつから厳しくなったのか、言及されているものもありました。

〔注:「日本進学教室」の長谷川弥生氏の解説として〕「止める、はねるがうるさくなったのは、三十四、五年からですよ。(中略)そのころ、試験官がいろいろ採点方法を論じたそうですが、数学の教授が某紙上に『同点の場合は、字の形によって差はつけることができる』と随筆風に書いていた。そしたら、高校や中学の国語の先生がこれはいい、と飛びついたんです」*8

つまりは、昭和34,5年(1959,1960)から厳しくなったようです。

このころに何があったのでしょうか?

実は、1958年8月に文部省から「小学校用教科書に使用される教科書体活字の字体について」という通達が出され、1958年12月には「教科書用図書検定基準内規」(文部省初等中等教育局、文初教内586号)が公布されました。これによって教科書の字形に関する規定ができ、ある程度字形が統一されました。この3年後の1961年の教科書から字形の統一された教科書が出されるようになったのです。

f:id:shokaki:20160229010630j:plainそれまでは、出版社・印刷社によって字形が違ったり、1冊の教科書の中に異なる字形が含まれていたり、とバラバラでした。統一してほしいという要望が文部省に寄せられたため、このような措置を取ったのです。

ちなみに、東京書籍の教科書ではこのときまで上の短い「天」を使用していました。(画像:1960年以前の東京書籍の教科書体「天」「蚕」。板倉雅宣(2003)による)

字形が統一されてから厳しくなってきたようです。採点に厳しくなると、さらに「どう書くのが正しいのか」という疑問が生まれてきます。

1961年にある程度統一したものの、教科書によってまだ微妙な差は残っていました。先ほどの「幸一」君のような差が残っていたのです。1977年にはその差さえなくすため、文部省は標準字体を示します。1958年のときと同じように、教科書の字形で「正誤議論」があったため、標準を決めたのです。

1977年の新聞はみな一様にこの統一を批判しました。朝日「『標準字体』に異議あり*9」、読売「〝字体統一〟これでスッキリ?*10」、毎日「むずかしいなぁ標準字体*11

教科書の字形が統一されるごとにどんどん、「字形に対する緩やかさ」みたいなものが失われてしまったのではないでしょうか。

そして、各教師独自の厳しい採点が行われるようになってしまったのです。

字源との関係

文化庁の「長短はどちらでもいい」などの文言をみて、「漢字の成り立ちがないがしろに!」などと言われる方がいますが、これは指針、ひいては漢字に対する誤った理解です。

ごく簡単に申し上げますと、字源(漢字の起源)から、現在の漢字の形の細かい部分の正誤を語ることは不可能です。

現在、日本で使われている漢字には略字が多く含まれているのは皆さんご存知のことと思います。

「気-氣」「円-圓」「蛍-螢」などがそうです。このような字を字源から語るのはナンセンスです。「円」などは国がまえが変化した形ですので、むしろはねないほうが適切なのでは? などとも思えてきます。

現在使われている漢字のうち、略字が由来のものについては、他の漢字からの類推などで書き方が決まっているだけで、根拠があるとは言えません。

f:id:shokaki:20160229020559j:plainでは、略字でないものはどうでしょうか。「天」を例に考えてみましょう。「天」の字は「大の字にたった人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示したもの*12」とされています。

そして、最も古い漢字の形である甲骨文字は右のように上が短く書かれています。(「天」の画像はどちらも黒須雪子(2009)『新書源』二玄社

f:id:shokaki:20160229185938j:plain人の上を示して「天」という意味を持たせた字です。人の上にある印の長さに意味はなく、現在の漢字の形の根拠にはなりません。

また、「天」に関しては長い間、上の短い形で書かれてきていました。歴史上、上の短い字も書かれてきていましたから、上の長い「天」も、上の短い「天」も同様に認められるのは自然でしょう。

このように、今回指針で問題にされているような違いのどちらが正しいかを字源に求めても、現在の漢字の形とは無関係なものばかりで根拠や理由にはなりません。「秘」の「禾」は「示」の誤字が定着したものだとか、枚挙にいとまがありません。

現在の漢字の形は漢字の起源をもとにはしていないのです。

印刷文字と手書き文字の関係

ここで疑問がある方もいるのではないでしょうか。歴史的に「天」の上が短かったのなら、いつから長くなったのか。という疑問です。

印刷文字、特に明朝体のデザインでは「天」の上を長くしたり、「女」の2,3画目を交差させなかったりと、と歴史的な手書き文字とは異なる形をとる場合があります。

指針のQ&Aの文言を借りて述べると、「印刷文字は,読みやすさを重視して発展してきたものです」それに対して手書き文字は「自然な手の動きが基本」になっています。ですから、それぞれ漢字の表現の仕方には差が生まれます。その結果、印刷文字では「天」の上が長くなったのです。

印刷文字と手書き文字では表現の仕方が違ったのですが、前述した1961年の字形の統一に至ります。このとき、教科書の「天」は印刷文字に合わせて上を長くすることになりました。このような経緯で手書き文字の「天」も上を長く書くようになったのです。

印刷文字と手書き文字の漢字の形が異なることは、その成立の経緯の違いにあり、その違いや特徴を理解することは必要です。ですが、印刷文字の漢字の形も手書き文字の漢字の形も、同じ字体(骨組み)を備えており、漢字としてはどちらも正しいものです。

どちらかの形が正しいと考えるのは、行き過ぎでしょう。

書写教育との関係

「毛筆ではとめ・はねをきちんとするから、筆文化の破壊だ」のような意見も見られます。果たしてそうでしょうか。

2016年2月10日の「news every.」でこの指針の内容が取り上げられました。そこでインタビューを受けた90歳女性が面白い発言をしています。

あたし達んころ、これ、木、はねたんですよ。お習字やりましたから。

f:id:shokaki:20160229030005j:plainこの女性は、はねる「木」を書いて見せて、こう言っています。お習字をやっていたから、はねるように習ったわけです。

野崎邦臣(2013)の『漢字字形の問題点』でも述べられていますが、筆写で「木」をはねるのはごく一般的でした。ですから、90歳女性が習字をしていたときの「木」ははねたのです。毛筆で書かれてきた「木」はほとんどの字ではねており、書写・習字ではねるように習うのは自然なことです。

しかし、印刷文字の系統ははねないものが多く、前述した教科書の漢字字形を統一する際も、はねない「木」が採られました。

不勉強で過去の書写教科書などの状況はわからないのですが、教科書の漢字字形が統一された際に、書写の教科書もそれに合わせてどんどん画一的な形で指導するようになってしまったのではないでしょうか。

文化庁の指針案のQ&Aでもこのように書かれています。

Q3 多様な手書き字形を認めるのは,漢字の文化の軽視ではないか。 それぞれの漢字を手書きする際に,様々な字形を認めることは,漢字文化をないがしろにし,壊してしまうことにつながりませんか。

A 手書き文字の字形に多様性を認めるのは,むしろ,漢字の文化に基づく考え方です。この指針は新しい考えを示すのではなく,本来の漢字の伝統を知ってもらおうとするものです。

文化庁の指針は、いわば手書き文化の衰退に歯止めをかけるものです。指針を見て「筆文化の破壊」などと考えられるほど、日本の手書き文化は衰退してしまっているのです。

「天」の1画目を短く書いたり、「木」をはねたりするのは、手書きでは普通でした。「筆文化の破壊」などと考える方が手書き文化・筆文化の破壊なのです。

まとめ

漢字には決まった一つの形があるわけではありません。明朝体だけが正しいわけではなく、教科書体だけが正しいわけでもありません。様々なバリエーションがあり、骨組みに誤りがなく、その文字であると判別できればそれぞれが正しい漢字なのです。

ある一定の字形だけが「正しい字形」であるという認識が生じていることには,伝統的な漢字の文化を守るという観点から,危機感を覚えています。手書きされる文字には,印刷文字にはない,微妙な違いが生じるのが当然です。

指針のQ&Aの部分にこうあります。この記事を読んで、指針への正しい理解をしていただければ幸いです。

大阪教育員会はすでに2月22日に実施した公立高校入試でこの指針による採点基準で採点することを示しました*13

鈴木仁也国語調査官は、今後このような動きが広まり、教員免許更新講習の場や大学の教員養成の課程でも取り扱われるだろうと話していました*14

続編

shokaki.hatenablog.jp

参考

*1:常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)について|文化庁

*2:読売新聞電子版2016.2.10

*3:2019年12月6日、動画の位置を変更し、文言を追加しました。

*4:文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 国語審議会(終戦〜改組) | 当用漢字字体表

*5:常用漢字表:文部科学省

*6:文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 内閣告示・内閣訓令 | 常用漢字表(平成22年内閣告示第2号)

*7:読売新聞1975.6.23朝刊

*8:読売新聞1975.6.25朝刊

*9:朝日新聞1977.8.14朝刊

*10:読売新聞1977.7.24朝刊

*11:毎日新聞1977.8.2朝刊

*12:藤堂明保ほか(2011)『漢字源』改訂第5版、学研

*13:読売新聞2016.2.23朝刊

*14:2月29日文化審議会国語分科会(第60回)にて分科会終了後にお話を聞くことができました。この場を借りてお礼申し上げます。